転載元
銀河鉄道999(ぎんがてつどうスリーナイン)は、松本零士先生によるSF漫画を原作としたアニメ作品で、1978年から1981年にかけて放送されました。この作品は、未来の宇宙を舞台に、主人公の星野鉄郎と謎の美女メーテルが銀河超特急999号で旅をする物語です。以下に、その魅力とストーリーの概要を紹介します。
「銀河鉄道999(スリーナイン)」は、星野鉄郎の成長物語であり、彼を見守り導く謎めいた女性メーテルの物語でもあります。しかし、彼女が物語の中でどのような心情を抱き、鉄郎の成長をどのように見ていたのかについては、作中で明確に語られることは少なく、その背景には深い思索の余地があります。
本記事では、メーテルの視点に焦点を当て、鉄郎との旅を通じて彼女が何を感じ、何を思っていたのかを考察します。
物語
銀河鉄道999の中でも、差別という重いテーマを扱いながらも、夢と友情の光を照らすエピソード「螢の街」。今回は、アニメーション演出家を目指すフライヤに焦点を当て、彼女が差別を受けていた理由、そして、外見至上主義に対する作品のメッセージを深く掘り下げていきます。

あらすじ:「螢の街」での鉄郎とフライヤの出会い
鉄郎が訪れた「螢の街」は、人々の体が発する光によって身分が決まるという、独特の価値観を持つ星でした。その星で鉄郎が出会ったのは、アニメーション演出家を夢見るフライヤという女性。しかし、彼女の体はまだらにしか光らず、そのために周囲から差別を受けて、貧しい生活を送っていました15。鉄郎はフライヤに同情し、お金を渡そうとしますが、彼女は「わたしは心の中まで貧しくありません」と、施しを拒否します。フライヤの誇り高い姿に心を打たれた鉄郎は、彼女が描いたアニメの絵コンテを見せてもらうことに。
物語の中心:ミーとの思い出を込めた絵コンテ、そして差別の現実
フライヤの描いた絵コンテは、愛猫ミーとの心温まる日常を描いたものでした。貧しい暮らしの中でも、ミーは彼女にとってかけがえのない存在であり、いつかこの物語をアニメーションとして完成させることが、彼女の大きな夢でした。しかし、この星では、体の光り方で人の価値が決まるため、フライヤのような「まだら」は最も醜いとされ、まともな仕事に就くことさえ困難だったのです。鉄郎はフライヤの才能と夢に感動し、絵コンテを金貨2枚で買い取ることを申し出ます。ただし、**「アニメーションを作るには、どうしても絵コンテが必要だ。いつか君がアニメを完成させたときには、一時的に絵コンテを返して欲しい」**という条件をつけました。鉄郎は、フライヤの才能を信じ、彼女の夢を応援したいと考えたのです。フライヤは鉄郎の言葉に、自分の夢を理解し、応援してくれているのだと強く感じます。そして、鉄郎の誠意を受け入れ、二人の間には温かい友情が芽生えるのです。
「光」が意味するもの:見た目至上主義への批判
「螢の街」で人々を支配する「光」の価値観は、現代社会における見た目至上主義を象徴しています。外見が良い人が優遇され、そうでない人が差別されるという構図は、容姿、学歴、家柄など、生まれ持ったもので人の価値を判断する社会の歪みを浮き彫りにしています。フライヤは、光り輝かないというだけで才能や人間性を否定され、夢を追うことさえ困難な状況に置かれています。
鉄郎の行動:内面の美しさを見抜く力
鉄郎は、フライヤの外見に惑わされることなく、彼女の才能や内面の美しさを見抜きました。フライヤが施しを拒否した時の誇り高い態度、ミーへの愛情、そしてアニメーションに対する情熱。鉄郎は、それらを通してフライヤの本質を見抜き、彼女の夢を応援することを決意します。
エピソードが伝えるメッセージ:外見ではなく、内面を磨くことの大切さ
「螢の街」のエピソードは、外見ではなく、内面を磨くことの大切さを私たちに教えてくれます。フライヤは、差別を受けながらも、才能を磨き、夢を諦めずに努力することで、多くの人々に感動を与えるアニメーション作品を創り上げました。彼女の姿は、困難な状況に置かれても、自分の価値を信じ、努力を続ければ、必ず道は開けるということを示しています。
エピソードのその後
物語の最後、ナレーションでは、時が流れ、フライヤのアニメーションが宇宙の多くの惑星で上映されたことが語られます。作品には「フライヤとその猫の名において、偉大な私たちの友達、星野鉄郎君にこの一編を捧げる。友情と教えてくれた勇気を、生涯私は忘れない」というメッセージが添えられていました。鉄郎がどこでそれを見たのか、誰も知りません。